高台寺 圓徳院の檜垣の手水鉢
ワタシももう1度
ひろしです。
今日は先日お邪魔しました高台寺圓徳院で見かけた
檜垣の手水鉢
この手水鉢がある圓徳院は、豊臣秀吉の妻北政所ねね終焉の地です。
秀吉の没後、妻ねねは高台院の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、
慶長10年に秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。
それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。
今日の圓徳院の起こりです。
ねねは没するまで19年間この地で余生を送り、ねねの終焉の地となりました。
そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。
圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、
ねねの没後9年目の寛永9年に高台寺の塔頭とされました。
※圓徳院HPより
その圓徳院でみられる手水鉢のひとつが、この檜垣の手水鉢と呼ばれる物で
どうして檜垣の手水鉢と呼ばれているかは不明です
周りには役石が据えられ、当時の茶人や大名らの目を楽しませたのかと思われます。
圓徳院檜垣の手水鉢
これは庭師か石工、それともねねの遊び心だったのか
奥が深いですね。
by tokan-en-yoshidah | 2012-11-12 12:03 | 手水鉢・wash basin