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兼六園 夕顔亭の手水鉢

金沢兼六園に在する夕顔亭の縁先中半軒内にある手水鉢は、高さ500mm、径850mmと大型で、水穴や姿態から刀の鍔に似ているが臼型のもの。
「伯牙断琴の手水鉢」や「邯鄲の手水鉢」と呼ばれ、京都の名金工「後藤程乗」造とされています。

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この手水鉢は
5代藩主前田綱紀公が京都から招聘した名金工の後藤程乗
「金属しか彫れないのか?」という綱紀公の言に対し、「どんな素材でも彫ることができる」と応じ、
石を彫って造った手水鉢の一つとされています。


謂れは2通りあり
最も有名なものは
伯牙断琴(はくがだんきん)の手水鉢
自らの琴の音を最も理解した友人の死を嘆き、
「一生琴を奏でない」と誓った名手、伯牙が琴を枕にし、横になる姿が浮き彫りにされている説と

邯鄲(かんたん)の手水鉢
昔、中国の蜀という国に、盧生(ろせい)という男が住んでいました。
彼は、日々ただ漠然と暮らしていたのですが、
あるとき、楚の国の羊飛山に偉いお坊さんがいると聞き、
どう生きるべきか尋ねてみようと思い立ち、旅に出ました。
羊飛山への道すがら、盧生は邯鄲(かんたん)という町で宿を取りました。
その宿で女主人に勧められて、粟のご飯が炊けるまでの間、
邯鄲の枕」という不思議な枕で一眠りすることにしました。
邯鄲の枕は以前、女主人がある仙術使いから貰ったもので、
未来について悟りを得られるといういわくつきの枕でした。
さて、盧生が寝ていると、誰かが呼びに来ました。
それは楚の国の皇帝の勅使で、盧生に帝位を譲るために遣わされたと言うのです。
盧生は思いがけない申し出に不審がりながらも、玉の輿に乗り、宮殿へ行きました。
その宮殿の様子と言ったら、壮大で豪華絢爛、驚くほど素晴らしく、極楽か天宮かと思われるほどでした。
盧生が皇帝になって栄華をほしいままにし、五十年が過ぎました。
宮殿では、在位五十年の祝宴が催されます。
寿命を長らえる酒が献上され、舞人が祝賀の舞を舞うと、盧生も興に乗り、みずから舞い始めました。
すると昼夜、春夏秋冬が目まぐるしく移り変わる様子が眼前に展開され
盧生が面白く楽しんでいると、やがて途切れ途切れになり、一切が消え失せます。
気づけば宿の女主人が、粟ご飯が炊けたと起こしに来ていて、盧生は目覚めます。
皇帝在位五十年は夢の中の出来事だったのです。
五十年の栄華も一睡の夢であり、粟ご飯が炊ける間の一炊の夢でした。
盧生はそこでこの世はすべて夢のようにはかないものだという悟りを得ます。
そしてこの邯鄲の枕こそ、自分の求めていた人生の師であったと感謝して、
望みをかなえて帰途につくお話の盧生が寝た姿を彫ったとされている説があります。


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ワタクシ的には、どうして伯牙断琴の話が持ち出されたかは不明ですが
後述の方は綱紀公にたいして京金工が伝えたかった事なのでは?と・・・

果たして真相は・・・

この世はすべて夢のようにはかないもの


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皆さんはどう思いますか?




写真は兼六園図鑑さんから勝手に頂戴いたしました。
サーセンm(_ _)m

by tokan-en-yoshidah | 2012-10-23 17:09 | 手水鉢・wash basin

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