渉成園 塩釜の手水鉢
塩釜町と呼ばれる場所がありますが
京都で塩釜??塩???
ここにはその昔
左大臣源融の塩窯があったとの伝説があるそうです・・・
そもそも塩の製塩法は
藻塩法と言われる
海のウィードごと焼いてそこから出る塩を取る方法と
入浜式塩田と言われる
海水を浅瀬で濃縮させたかん水を炊いて蒸発させる方法がありました
これらの塩を焼く時
現代は鉄製の釜を使っていることがおおいのですが
昔は土器を使っていたそうです
そのことより
塩が付く地名は
塩が取れる地方(海際)で見られます
たとえば
宮城県塩竈市
もちろんここには
鉄器の塩釜が残されています
で、話は戻って
京都は塩釜町の由来とも言えるものが
ここ東本願寺の飛地境内地にある
渉成園(しょうせいえん)
別名・枳殻邸(キコクテイ)に残されています
渉成園は
奥州塩釜の風景を模して庭を造ったといわれており
尼崎から海水を運ばせて池を作ったと言われています
そんな庭園内には
塩釜の手水鉢は宝塔の塔身を転用したもので
全国の庭園で見られる塩釜の手水鉢の本型とされています
塩釜の手水鉢はこの渉成園の中で一番重要とされているそうです
もちろん都乾園にも
あります
サイズも色々!
プロ好みかも・・・
※枳殻邸→枳殻(からたち)を生垣として植えたことからキコクテイと呼ばれていたそうです
by tokan-en-yoshidah | 2009-07-13 21:00 | 手水鉢・wash basin